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メッスの歴史

メッスの町の際立った個性は、3000年の歴史によって生まれました。モーゼル川とセイユ川というふたつの川と緑に囲まれた環境の中に、優れた文化遺産が大切に保存されています

青銅器時代の終わり(紀元前1000年)以降、ガリア人に占領されたメッスは、ガリア部族の一つであるメディオマトリキ族の国の都となります。シーザーのガリア制圧により、当時ディオドルムと呼ばれたメッスは、ガリア=ローマの重要な町の一つとして発展を遂げます。その時代の共同浴場や水道橋などが今も町中に残り、ポンピドゥー・センター・メッスの近くの地中に埋もれている2万5000人を収容できる円形劇場が、当時の町の規模を物語ります。

6世紀には、メッスはメロヴィング朝フランク王国のアウストラシアの都となり、カロリング・ルネッサンス期にキリスト教世界にその名が知られるようになります。10世紀に入ると、現在のロレーヌ地方にあたるロタリンギア地方全域とともに神聖ローマ帝国に統合されます。

その後共和国となったメッスは、15世紀までもっとも豊かな時代を過ごします。1552年、ローマ文化の影響下にあったメッスは、フランスの保護下に入ることを承諾します。1648年のヴェストファーレン条約により、メッスは正式にフランス領になりました。メッスは、トゥール、ヴェルダン、メッスからなる帝国三司教領の中心都市となります。

1871年にドイツに併合されますが、1918年、再びフランス領となり、1940年から1944年まで再度ドイツに併合されます。

ヨーロッパの中心都市であり、技術革新の中心地でもあるメッスは、現代アートと過去から受け継いだ価値観の両方を大切にし、うまく調和させています。ドイツ、ルクセンブルグ、ベルギーの三ヶ国の国境に近いメッスは、ロレーヌ地方の首都として43万人が住む盆地地帯に君臨しています。

メッスはとりわけ貿易と通信産業の発展に力を入れており、国境を越えた都市間のネットワークであるクアトロ・ポール(加盟都市:ルクセンブルグ、メッス、ザールブリュッケン、トリーア)や、ルラ・プラス(ルクセンブルグ、エシュ・シュール・アルゼット、ロンウィ、アーロン、チオンヴィル、メッス)、フランス国内の都市間ネットワークであるシヨン・ロレーヌ(エピナル、メッス、ナンシー、チオンヴィル)に加盟しています。

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